2008年07月04日

そうなると写真ナシにも意味が・・・


ある花を見て、ふと思った。

きれい!でかい!気持ち悪い! と何でもいいのですが、モノのビジュアル
から何か特別なものを感じたとき、ケイタイのカメラで写したりするのですが、
後で見てみると「なんだかなあ」という時が多くあるんです。
腑に落ちないと言いますか。

あれはきっと、こういうことなんだろうな、と、思った訳です。

実物のセカイでは、私たちの意識は花なら花でそのもの自体しか見ていない、
感じていないことが多くまたそれで十分なのに対し、写真なりスケッチに
なると、背景や光の具合つまり、ターゲット以外の要素を含めファインダーに
納められた全てに意味が発生してしまうのではなかろうかと。

そうなると、いかに解像度が高く、鮮やかな色味を再現された写真でも、
Aという花を写した写真はすでに花ではなく、あくまで「Aという花が写った写真」。
あまりにも当然のことを言っていますが、この違いは大きい訳です。

今日見たある花は大きな百合の花だった訳ですが、とある雑居ビルの前に
植えられていたもので、それは見事に咲き誇っていました。しかし、咄嗟に
写真全体として嬉しいものが撮れる気がせず、カメラを向けることはやめました。

建物のグレー、格子状のフェンスの騒がしい感じ、影、その他もろもろが
ファインダーに割り込んでくることをふまえると、一体どう写せばよいのか、
それが分からなかったからです。

撮ったところで「花は確かにキレイだけど殺風景な写真だね」となり、果ては
“くすんだ街に咲いた一輪の花”などという、撮影者の意図しないニュアンス
すら帯びてしまう可能性もありそうです。
ただ花がキレイだったよ!と言いたいだけなのに。


音楽にも似た話があります。楽器の演奏では音を鳴らすことはもちろん、
鳴らさない状態も「間合い」として意味を持つために、休符も演奏である
というようなことを、よく言います。

会話でもそうですね。沈黙の長短・多少、しぐさ、息遣い・・・
一口に会話といっても言葉の交換以外の表現には、枚挙に暇がありません。
口ほどに物を言ったり、意図しないメッセージばかりが伝わっていたり。。
まったく油断できません。

物事の中心だけでなく、「それ以外の部分」に意識を向けてみると、
世の中のあらゆることは、きっともっともっと楽しく、一方で
こだわりだすと果てしなく面倒くさくなってきそうだなあ…。


長々と失礼しました。
by Y

posted by postino at 20:43| Comment(0) | TrackBack(0) | ごあいさつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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